2025年1月27日(月)文化放送にて放送された「大竹まことゴールデンラジオ」の「大竹のもっと言いたい放題」の内容の一部です。
石破総理の言う「楽しい日本」は正しい【森永卓郎】(2025年1月27日)
大竹まこと 阿佐ヶ谷姉妹 森永卓郎 砂山圭大郎【大竹のもっと言いたい放題】
大竹のもっと言いたい放題、森永先生、お願いいたします。
はい、ちょっとですね、「楽しい社会って何なのか?」という話をしたいと思うんですけれども。
今、石破総理がですね、施政方針演説の中で「楽しい社会を作るんだ」と言った時に、多くの国民が「何をわけのわからないことを言ってるんだ?」と思ったと思うんです。
各いう私も、そう思いました。
ただ、ここに来て改めて思うようになったのは、「案外それが正しいんじゃないか?」ということなんですね。
それはなぜかというと、「今、世の中で何が起こっているか?」を考えた時に、社会を分断して、みんなで弱っている人を袋叩きにすることを楽しみにしている人が、実は本音では多いんじゃないか?ということなんです。
例えば、フジテレビの問題もそうなんです。
確かに、悪いことをしたのはものすごく悪いことをしたんです。
ただ、だからといって、その一部の人たちをボッコボコにすることによってストレスを発散するような社会が、本当にいい方向なのか? というのを思うわけです。
で、これは世界でも同じなんです。
社会を分断させて、例えばトランプ大統領が「移民は悪いんだ」「あいつらのせいで世の中がボロボロになっている」と言ったりする。
でも、それって一面では事実かもしれないけれど、それが建設的な方向に向かっているのか? というと、私はそうではないと思うんですよね。
それに輪をかけるように、情報が錯綜して、フェイクかどうかも分からない情報が大きく広まっていく。
これによって「報復の連鎖」が生まれてしまう。
そういうのを見ていくと、本当に世の中はダメになってしまうんじゃないかと感じるんです。
これは偶然かもしれないんですが、かつてフジテレビは「楽しくなければテレビじゃない」と打ち出していたんですよね。
当時は、本当にテレビが楽しかったんです。
今のようにギスギスしている文化ではなかった。
だから、もう一度「どうしたらみんなが楽しい社会、楽しい文化を追求できるのか?」を考え直さないといけないんじゃないかな、と私は思うんです。
そういう意味でも、私は「エンターテイメントの果たす役割」ってすごく大きいと思うんです。
私もすみっこでは発言していますが、エンターテイメントって、ご飯を食べるという意味では何の役にも立たないかもしれない。
でも、こういう時代だからこそ、「楽しめる社会を作るためにエンターテイメントは大きな貢献ができる」と思うんですよね。
楽しいって、とても大事なことなんですよね。
例えば、映画『男はつらいよ』の寅さんが、若い人に「人生の意味」について聞かれた時に、「でも、生きていれば何度か楽しいことがあるだろう。それでいいんじゃないか?」って答えています。
個人的には、いろんなことがあるだろうけれど、やっぱり「生きることの中心に楽しいことがある」というのは、とても大事なことだと思うんです。
だから、「我々は何のために生まれてきたのか?」と考えた時に、人を袋叩きにするために生まれてきたんじゃないはずなんです。
だからこそ、「世の中に役に立たないものこそ、こういう時代には一番役に立つ」と私は思うんです。
少なくとも、楽しいことを提供して、笑ってもらおう、楽しんでもらおうとする団体があるわけです。
そういうことを議論しない社会は、私はあまり良くないと思うんですよね。
森永さんの提言ですが、石破さんが「楽しい社会を作る」と言ったことに対して、世間からは「楽しいってなんだ?」という声も上がっていました。
でも、森永さんは「あえて楽しいことの大切さ」を強調していました。
以上、「大竹のもっと言いたい放題」でした。
補足
この内容では、森永卓郎さんが「楽しい社会とは何か?」について述べています。特に、現在の社会の分断や、フェイクニュースによる情報の錯綜に警鐘を鳴らしながら、「人々が楽しむ社会の重要性」を強調しているのが印象的です。
また、エンターテイメントの意義についても触れ、「何の役にも立たないように見えるものこそ、実は社会の潤滑油として不可欠である」という視点を示しています。
最後に、石破総理の「楽しい社会」という発言に対して、「それこそが本当に必要な考え方ではないか」と再評価している点が特徴的でした。
2025年1月28日、経済評論家の森永卓郎さんが67歳で亡くなられました。
私は、森永さんの発言をこれまで何度も耳にし、考えさせられることが多くありました。彼は経済だけでなく、社会の本質や私たちの生き方についても鋭い視点を持ち、時には常識を覆すような提言を行っていました。
その森永さんが亡くなる前日、2025年1月27日にラジオ番組『大竹まことのもっと言いたい放題』で語った「楽しい社会とは何か?」という話が、今なお私の心に響いています。
「楽しい社会」とは何か?
森永さんは、この放送の中で次のように語りました。
「石破総理が施政方針演説の中で『楽しい社会を作るんだ』と言ったとき、多くの国民が『何をわけのわからないことを言ってるんだ?』と思ったと思うんです。かくいう私もそう思いました。」
私も、この発言を最初に聞いたときは「楽しい社会?それが今の日本で可能なのか?」と疑問に思いました。しかし、森永さんは話を続ける中で、「実はそれこそが今の社会に必要なことではないか?」と語っています。
「今、世の中で何が起こっているか?」を考えた時に、社会を分断して、みんなで弱っている人を袋叩きにすることを楽しみにしている人が、実は本音では多いんじゃないか?」
この言葉を聞いたとき、私は思わずハッとしました。たしかに、現在の日本社会では、誰かが失敗したり、何か問題を起こしたりすると、一斉に叩かれます。SNSやテレビのワイドショーでは、一つのスキャンダルが延々と取り上げられ、それを見て「正義」を掲げながら非難することが、一種の娯楽になっているのではないか。
森永さんは、これを「ストレスの発散手段」として社会全体が容認してしまっている現状に警鐘を鳴らしていました。
「例えば、フジテレビの問題もそうなんです。確かに、悪いことをしたのはものすごく悪いことをしたんです。ただ、だからといって、その一部の人たちをボッコボコにすることによってストレスを発散するような社会が、本当にいい方向なのか?というのを思うわけです。」
これは、ジャニーズ問題や、マスメディアの報道のあり方にも当てはまることだと私は思います。問題を糾弾するのは大切ですが、それが単なる「バッシングの快楽」に変わってしまっては、本質的な解決にはならないのではないでしょうか。
情報の氾濫と「報復の連鎖」
森永さんは、さらに現代の情報環境についても語っています。
「世界で見ても同じなんです。社会を分断させて、例えばトランプ大統領が『移民は悪いんだ』『あいつらのせいで世の中がボロボロになっている』と言ったりする。でも、それって一面では事実かもしれないけれど、それが建設的な方向に向かっているのか?というと、私はそうではないと思うんですよね。」
彼が言うように、社会はどんどん二極化し、情報は錯綜し、本当に正しいことが何なのかが分からなくなっています。
「それに輪をかけるように、情報が錯綜して、フェイクかどうかも分からない情報が大きく広まっていく。これによって『報復の連鎖』が生まれてしまう。」
私たちは、情報を鵜呑みにするのではなく、冷静に精査し、バッシングではなく建設的な議論をすることが求められているのではないでしょうか。
「楽しくなければテレビじゃない」の時代
森永さんは、この「楽しい社会」の考え方を、かつてのフジテレビのスローガンと関連付けていました。
「これは偶然かもしれないんですが、かつてフジテレビは『楽しくなければテレビじゃない』と打ち出していたんですよね。当時は、本当にテレビが楽しかったんです。」
現在のテレビはどうでしょうか。情報番組やワイドショーの多くが、ネガティブな話題を取り上げ、社会のギスギス感を煽っているように感じます。昔のテレビが持っていた「楽しさ」「ワクワク感」を取り戻すことが、社会全体の空気を変える鍵になるのかもしれません。
「だから、もう一度『どうしたらみんなが楽しい社会、楽しい文化を追求できるのか?』を考え直さないといけないんじゃないかな、と私は思うんです。」
「楽しい社会」を作るために
最後に、大竹さんがトラさんを例に挙げて「楽しい社会」の意義について、こう締めくくっています。
「例えば、映画『男はつらいよ』の寅さんが、若い人に『人生の意味』について聞かれた時に、『でも、生きていれば何度か楽しいことがあるだろう。それでいいんじゃないか?』って答えています。」
この言葉に、私は深く共感しました。私たちは、何のために生きているのか? それは「誰かを叩くため」ではなく、「楽しいことを感じるため」なのではないか。
「だからこそ、『世の中に役に立たないものこそ、こういう時代には一番役に立つ』と私は思うんです。」
森永卓郎さんの教えを胸に
森永さんの最後の発言を聞いて、私は改めて「楽しい社会とは何か?」を考えさせられました。彼の訃報を受けて、今こそ私たちは「楽しく生きること」を真剣に考えるべき時なのかもしれません。
森永卓郎さんのご冥福を心よりお祈り申し上げます。
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