腹を立てても、結局は損──穏やかに生きたいあなたへ

シニアライフ

最近、腹が立つことが増えたなぁ……と思うこと、ありませんか?

ニュースを見れば政治にがっかり。
スーパーに行けば、また物価が上がってる。
車を運転すれば、前の車がトロトロしててイライラ。
家に帰れば、隣の家の子どもの声や生活音が気になって、なんだか落ち着かない。

……若いころは、もっと寛容だった気がするのに。
いつからこんなに腹を立てるようになったんだろう?

でも最近、こんなふうにも思うようになりました。
「腹を立てたところで、結局何も良くならないよな」と。


怒りって、何のためにあるんでしょうね

怒りって、決して悪い感情じゃないと思うんです。
「それは違う」「こうあるべきだ」と思うからこそ、怒りが出てくる。
でも、それが行きすぎると、自分が一番疲れてしまうんですよね。

ある仏教の話に、こんな教えがあるそうです。
人は、怒りに対する態度で「三流」「二流」「一流」に分かれると。

● 三流の人は…

怒ったまま、そのまま口に出してしまう人。
思ったことをぶつけて、関係を壊してしまう。

● 二流の人は…

言葉には出さないけれど、顔や態度に出てしまう人。
なんとかこらえてはいるけれど、表情が曇ってしまう。

● 一流の人は…

胸の中では腹が立っていても、顔にも出さない。
笑顔で相手と接し、関係を大切にする。

……なかなか「一流」にはなれません。
でも、この話を知っているだけで、「ちょっと待てよ」と思える気がするんです。


怒りを「水に書く」ように

怒りを感じた後の態度も、人の器を表すんだとか。

  • 三流の人は、怒りを「岩に刻む」ように、何年たっても忘れない。
  • 二流の人は、「砂に書く」ように、時がたてば少しずつ薄れていく。
  • 一流の人は、「水に書く」ように、すぐに忘れることができる。

昔のことを今も根に持っている──そんな自分に気づいて、恥ずかしくなること、ありませんか?

あのときのあの言葉。
許せなかった、悔しかった。
でも、それを今も握りしめていると、どんどん心が重くなっていく。

結局、傷ついているのは“自分自身”なんですよね。


「自分は本当にそんなにできた人間か?」

怒りって、よくよく考えると、
「自分はちゃんとやってるのに、なんであの人は…」
「自分は正しいのに、なんでわかってもらえない…」
という思いからくるものだったりします。

でもふと立ち止まって、自分に問いかけてみるんです。

「自分はそんなに立派な人間か?」
「自分だって、同じようなことしてないか?」

……たいていは、「ああ、自分もそうだったな」と思い出すものです。

そうすると、なんとなく許せる気がしてくる。
「しょうがないな」「まあ、ええか」と、肩の力が抜けていく。


穏やかに生きるという、選択

もう私たちは、若いころのように「ガンガン行くぞ!」という時期を過ぎました。
これからの人生、できるだけ穏やかに、気持ちよく生きていきたい

だったら、「怒り」を選ばないというのも一つの知恵です。

  • 腹が立ったら、一晩寝かせてみる
  • 言いたいことがあったら、紙に書き出してみる
  • それでも怒りが消えなければ、自分の中の“正しさ”を疑ってみる

すぐに相手にぶつけず、ちょっと間を置いてみる。
すると不思議と、心が落ち着いて、相手のことも少し理解できるようになる。
それが結果的に、人間関係も、自分の心も、ずっと楽になるんです。


おわりに:怒っても、いいことはない

怒っても、成果はありません。
むしろ、疲れるだけ、関係を壊すだけ、自分が苦しくなるだけ。

だったら、怒らないことを選ぶ。
どうしても怒りがわいてきたら、せめて“水に書く”ように流してしまう。

それが、これからの人生を軽やかに、気持ちよく生きるためのコツなのかもしれません。

「今日も腹が立った。でも、グッとこらえた自分を、ちょっと褒めよう」
そんなふうに、自分と穏やかにつきあえる日々を、少しずつ増やしていきたいですね。

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