第2章:アインシュタインに学ぶ「覚えない」という選択
「私は自分の電話番号を覚えていない。なぜなら、それを覚えておく必要がないからだ」——アインシュタインの有名な逸話のひとつです。この言葉の背景には、天才的な頭脳の「思考戦略」が隠れています。
アインシュタインは、脳の記憶容量を無駄に使わないことを意識的に実践していた人物でした。日常の些末な情報は外部に保存し、自分の思考力を本質的な探究に集中させる。これは、まさに現代に通じる「脳の資源管理」そのものです。
「覚えないこと」は怠けではない
私たちは、記憶力が良いことを「頭が良い」と評価する傾向があります。しかし、脳の働きには限界があり、すべてを覚えようとすると、かえって本当に大切な判断や創造的な思考ができなくなってしまいます。
ここで注目したいのが、「外部記憶」という考え方です。つまり、覚えるべきことを紙やデバイスに記録し、脳を“考えること”に専念させるという戦略です。これは決してサボりではなく、賢い脳の使い方といえます。
実際に、現代の脳科学や認知心理学でも、「メモを取ること」や「話すことで思考を整理すること」の重要性が強調されています。
「拡張された心」という視点
アニー・マーフィー・ポールは著書『深く考える習慣(原題:The Extended Mind)』の中で、脳は孤立した思考装置ではなく、身体や空間、他者との関係を通じて思考を広げることができると論じています。
彼女の提唱する「拡張された心(Extended Mind)」という概念によれば、私たちはノートに書く、手を動かす、歩きながら考える、人と対話するといった行為によって、思考を深めたり整理したりできるというのです。
これはまさに、アインシュタインが実践していた「外部に委ねる思考」と同じ原理です。頭の中だけで完結させず、脳の外に思考を広げることこそが、深い理解や創造性を生み出す鍵なのです。
書くことは思考の「補助輪」
作家・前田裕二氏の『メモの魔力』でも、「書くこと」が思考のトリガーになることが繰り返し語られています。彼はメモを単なる記録ではなく、「自分の思考を可視化し、次の行動に導くツール」と位置づけています。
たとえば、「なぜそう思ったのか」「そこから何が言えるか」と問いを立てながらメモを取ることで、情報を深く咀嚼し、自分の言葉に落とし込んでいく。このようなメモ術は、アインシュタインのように“覚えないで済ませる”ためだけでなく、より深く考えるための技術でもあります。
また、記録することによって「忘れても大丈夫」という安心感が生まれ、脳の緊張が解け、むしろ発想が広がることもわかっています。
覚えるより、「使える形で残す」
ここでのポイントは、「記憶しない」こと自体を目的にするのではなく、「使いたいときに取り出せる状態にしておく」ことです。
それがノートであれ、ToDoリストであれ、音声メモであれ、形式は問いません。大切なのは、自分が“思考を後回しにしないで済む仕組み”を作っておくこと。
この発想は、ビジネスでも教育でも役立ちますし、加齢によって記憶力の衰えを感じるシニア世代にとっても、非常に現実的で有効なアプローチです。
「思い出す」作業が脳を活性化する
興味深いことに、「忘れたことをメモで思い出す」という行為自体も、脳の刺激になることがわかっています。記憶そのものを鍛えるのではなく、思考を呼び戻すフックを用意するという発想です。
これは脳の健康維持にも役立ちます。実際、認知症予防の一環として「書くこと」や「話すこと」を推奨する医師や研究者も少なくありません。
アインシュタインの逸話が示すのは、「記憶の量ではなく、思考の質」であり、それを支える仕組みを日常に組み込むことの大切さなのです。
📚 関連書籍
『深く考える習慣』(アニー・マーフィー・ポール)
「脳の外」に思考を広げる「拡張された心(Extended Mind)」の概念を紹介。記録、身体、空間、他者との関係が脳の補助装置になるという新しい思考法。
『メモの魔力』(前田裕二)
メモは記録ではなく思考の装置。問いを重ねながら書くことで、自分の考えを深め、行動につなげる実践的な方法論が紹介されています。
次章では、私たちの脳資源を最も浪費してしまう“現代的な習慣”について考えていきます。マルチタスク、スマホ通知、選択疲れ……これらがいかに脳に負担をかけているのか、具体的に掘り下げていきましょう。



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