60歳までにやめてよかった5選。人生が軽くなる選択

シニアライフ

65歳になる今、ふと振り返って思うことがあります。
「あのとき、これをやめていなかったら…」
若い頃は“正しい”と思い込んでいた習慣が、実は自分を縛っていた。
今だからこそわかる「手放してよかったもの」があります。

若い頃は当たり前だと思っていたことが、人生を重たくしていた。気づかぬうちに自分を縛っていた。そんな生き方を、50歳ころから少しずつ手放してきました。

今回は、私が実際にやめてよかったと心から思っていることを、5つ紹介します。これは単なるアドバイスではなく、私自身が試行錯誤の中で見つけた「自分らしく生きるための選択」です。


1. 人の期待に応える人生

「いい父親でいなきゃ」「優秀な社員でいなきゃ」「期待に応えなきゃ」――そうやって生きてきました。気づけば、人生の多くを「他人の目」で決めていたのです。

特にサラリーマン時代、私は組織の中で役員にまでなりました。責任感もありましたし、期待されることは嬉しくもありました。でも、ふと気づくと、「自分は本当に何をしたいのか」が分からなくなっていたんです。

40代の後半、会社を離れる決断をしたとき、ようやく「自分の人生を取り戻す」感覚を味わいました。人の期待に応え続けることは、いつか自分を失います。

50歳までにそれをやめて、本当に良かったと思っています。


2. 酒・タバコなど“依存の習慣”

私はもともとお酒をあまり飲みません。飲めないわけではなく、進んで飲まないのです。

なぜか? それは、友人や身近な人が酒のせいで体調を崩したり、人生を壊していく姿を何度も見てきたからです。酒が原因で失敗した人を目の当たりにしてきて、「自分は距離を置こう」と自然と思うようになりました。

一方で、タバコは長い間吸っていました。1日3箱、かなりのヘビースモーカーでした。

禁煙には何度も失敗し、禁煙外来や禁煙パッチも試しましたが続かず、やめることはできませんでした。ですが、ある時を境にぴたりとやめたのです。

きっかけは、たまたま見た情報でした。アメリカのたばこ会社「RJレイノルズ」の社内で語られたという、「タバコを吸う権利なんて、ガキと貧乏人とバカにくれてやれ」という言葉。これを知ったとき、自分がバカにされながらお金を払っている構図に愕然としました。

さらに、日本たばこ産業(JT)の有価証券報告書を調べ、財務省が大株主であること、元官僚が役員として名を連ねている現実を知りました。

私は毎日、自販機にお金を入れてタバコを買い続けていた。そんな自分の姿を客観的に見たとき、「もうやめよう」と腹が決まったのです。禁煙ではなく、完全に卒煙。その日からタバコもライターも全て処分しました。

結果、呼吸は楽になり、お金も健康も戻ってきました。

そして、もしあのまま吸い続けていたら、現在までに約970万円ものお金をタバコに使っていたことになります。まさに「吸っていたのは煙ではなく、自分の命とお金」だったと痛感します。

また、こうした習慣は「出費」も大きい。毎日吸う・飲むことが当たり前になると、月に何千円、年間では何万円というお金と大量の時間が消えていきます。それをやめただけで、健康も、財布も、人間関係も良くなった。

「やめる」というより「必要としなくなった」生き方を選んだ。それが大きな転機になりました。


3. 無意味な健康不安と、過剰な通院

少し厳しい言い方かもしれませんが、「健康診断という名の不安ビジネス」には距離を置いています。

もちろん、病気の早期発見が必要な場面がときにはあるのは理解しています。
ですが、数字に一喜一憂し、年に何度も検査を受け、「安心するためだけ」に医者へ通う──それは本当に“健康”と言えるのでしょうか?

私自身、以前「血糖値が高い傾向がある」と指摘されたことがあります。
そのとき私は薬に頼らず、まず食生活の改善に取り組みました。
砂糖、ジュース、グルテンを控え、身体の声に耳を傾ける──それだけで体調は少しずつ良くなったのです。

「病気を治すのは医者ではない。結局、自分自身だ。」

これは、私自身が強く実感している信念です。
医者の力を借りることは大切。でも、すべてを預けるのではなく、自分の身体を自分で守る覚悟が必要だと思います。

60歳を前にして、そのスタンスに切り替えられて、本当に良かったと今では感じています。
もちろん、必要なときには医者にもかかるし、薬も飲みます。でも、妄信的に医者を信じることはしない。それが、私なりの“健康”との付き合い方です。


4. 見栄やプライドでお金を使うこと

会社役員時代、私はそれなりの収入を得ていました。

その頃は、高級車やブランド物を買うことが“普通”でした。どこかで「成功者らしく振る舞わなければ」という見栄やプライドに縛られていたんだと思います。

でも、今の私は全く違います。愛車はバイク、Honda X-ADV。豪華ではないかもしれませんが、このバイクで全国を旅するほうが、よほど心豊かです。

モノを持つことより、経験を重ねること。 誰かに見せるための消費ではなく、自分の心が喜ぶ生き方

60歳を前にして見栄やプライドを手放せたことで、お金の使い方も変わり、心の満足度は確実に上がりました。


5. 完璧主義と「ねばならない」に縛られること

「ちゃんとやらなきゃ」「もっと良くしなきゃ」「完璧に仕上げなきゃ」

そんな考え方で長年生きてきました。特に、YouTubeやブログを始めた頃は、一本の動画に何時間もかけて、「100点」を目指していました。

でも、気づいたんです。

完璧を求めると、続かない。 7割でいい。いや、むしろ7割で出すほうが“人間味”があって伝わる。

今は、「やらなきゃ」に追われるのではなく、「やりたい」から動く。それができるようになったのは、完璧主義を手放したからこそです。


おわりに:手放して見えた、本当の自由

60歳になる前に手放した5つのこと。 それは「人生を軽くする選択」でもあり、「自分を取り戻す選択」でもありました。

人に合わせてばかりの人生。 依存や恐れに縛られた毎日。 見栄とプライドに振り回された時間。

それらをやめたとき、ようやく私は、「自分の人生の舵を自分で取っている」という感覚を得られました。

歳を重ねることは、衰えることではありません。 本当に必要ないものを削ぎ落とし、自分にとって大切なものだけを残していく、美しい作業だと今は思っています。

もし今、手放すべきか悩んでいるものがあるなら――
「自分の人生を軽くする選択」、あなたにもきっとあるはずです。

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