キーエンスといえば、高収益企業の代名詞のように語られる会社です。営業利益率50%、社員の平均年収は2200万円超。製造業でここまでの数字を叩き出す企業は、国内外でもそう多くありません。かつて私は、キーエンスの超小型ラジコンヘリ「レボリューター」に惹かれて、思わず購入したことがあります。あれは単なるおもちゃではなく、技術者魂が詰まった“本気の製品”でした。
しかし、キーエンスの真の強さは製品技術や営業力だけではありません。今回紹介する書籍『キーエンス流 性弱説経営』(高杉康成 著)を通じて明らかになるのは、「人間は弱いものだ」という前提に立った経営思想。つまり、“性弱説”です。
性弱説とは?──人は善でも悪でもなく、ただ「弱い」
経営や組織論の世界では、よく「性善説」か「性悪説」かが議論されます。人は本来善だから信じて任せよう、あるいは悪だから監視と罰則が必要だ──このような立場です。
しかし、キーエンスが取ったのはどちらとも異なる「性弱説」という考え方。これは「人は弱い。だから放っておけばサボるし、忘れるし、楽な方に流される」という現実的な前提に立つ姿勢です。
大事なのは、人間の弱さを「責める」のではなく「前提にして仕組みで支える」こと。
たとえば、社員が営業先でうまくいかないのは「能力がない」からではなく、「緊張する」「ミスをする」など人間の弱さゆえ。これを責任論ではなく設計課題と捉える。この視点の転換が、キーエンスの強さの源なのです。
弱さを仕組みでカバーする徹底的なシステム
性弱説経営を実践するキーエンスの社内制度は、どれも人間の弱さを前提に構築されています。以下にいくつか代表的な仕組みを紹介します。
1. ニーズカード制度
営業が顧客から拾ってきた「こんな製品が欲しい」「こういう困りごとがある」といった声を“ニーズカード”として毎月数千枚単位で提出。放っておくと「今日は面倒だからいいか」と流される人間の弱さを見越し、カード未提出は人事評価にマイナス、良い情報は報奨金が出るという仕組みで動機付け。
2. ロープレ千本ノック
新入社員は3ヶ月間、毎日8時間のロールプレイを実施。顧客の前で緊張して失敗しないように、徹底的に練習して「失敗する余地を潰す」文化。これは人間の弱さ(緊張・準備不足)を前提にした仕組みです。
3. 1分単位の日報と可視化
社員は1分単位で自分の業務内容を記録。何をしていたか、価値ある行動だったかを常に意識させる。ここまでやるとサボれませんし、ごまかしもできません。これも「人は忘れるし、ズルする」前提の設計です。
4. ハッピーコール(顧客満足確認)
営業の訪問後、上司が顧客に直接電話をして対応内容を確認。上司が部下の報告を鵜呑みにしない、でも信じないわけではなく「仕組みとして確認を入れる」。このバランス感覚も性弱説らしい点です。
人の“弱さ”を責めず、仕組みで整える文化
キーエンスは「弱いからこそ仕組みで守る」「誰かのせいではなく構造の問題」という哲学を徹底しています。これは、仕事ができない人を罰するのではなく、できない前提で設計して、誰でも動けるようにするアプローチ。これはキーエンスに限らず様々な企業や組織にも活用できるはずです。
そして、この考え方は、フィードバックの方法にも現れます。
「努力不足でした」と言ったら、「何の努力が不足していたのか? なぜできなかったのか?」と徹底的に原因を追求される。うまくいかないのは気合や根性の問題ではない、仕組みの問題として扱うわけです。この視点の違いが、ただの“厳しい会社”ではなく、“成長できる会社”という評価につながっているのでしょう。
キーエンスの哲学は日常にも応用できる
この性弱説の視点は、ビジネスに限らず、私たちの生活にも使える考え方です。
・自分がなぜ三日坊主なのか?
・なぜダイエットが続かないのか?
・なぜあの人は遅刻ばかりするのか?
すべてを「意志が弱い」「根性がない」で片付けていては、解決策は見えてきません。「人は弱いものだ」と受け入れ、環境や仕組みを整える。これは教育、家庭、政治、そして自己啓発にも応用できるアプローチです。
たとえば家庭で「遅刻が多い子ども」に「怒鳴って改善させる」のではなく、「準備を自動化する仕組み(前日にカバンを準備させる、目覚ましを複数置く)」などの環境整備にフォーカスすれば、互いに消耗せずに済むわけです。
感想──“大企業が真面目におもちゃを作る理由”が見えた
冒頭に挙げた「超小型ラジコンヘリ レボリューター」は、今思えばキーエンスの性弱説経営の文化が滲んだ製品だったのかもしれません。ただ技術的に凄いものを作ったのではなく、「誰でも操縦できる」「壊れにくい」「安定する」ように、細部まで計算されていました。
あのおもちゃには「人はうまく操縦できないかもしれない」という前提で、それをカバーする技術と設計思想が込められていたのではないか──そう思うと、単なる製品ではなく“哲学の結晶”だったのだと気づかされます。
まとめ:成功の裏には「人間理解」がある
キーエンスの成功の理由は、製品や営業力の裏にある「人間理解」にあるといえるでしょう。社員の、顧客の、そして組織の“弱さ”を直視し、それを責めるのではなく、仕組みでカバーする。
この視点の転換こそが、21世紀の組織や社会を進化させる鍵かもしれません。
我々が組織を運営したり、自分自身を管理したりするうえでも、「人は弱いものだ」という謙虚な前提から始めることで、新しい解決策が見えてくるのではないでしょうか。



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