先日、X(旧Twitter)である投稿を目にしました。そこには、所ジョージさんがテレビ番組で語ったエピソードが紹介されており、多くの人から共感の声が寄せられていました。
ビートたけしさんに「飲みに行こう」と誘われた際、所さんは「嫌だよ。奥さんの手料理が一番美味しいから」と笑顔で断ったというのです。さらに、「料理を作る奥さんの姿が見たいから」と、番組収録が終わるとダッシュで帰宅してしまうのだとか。
このエピソードを知ったとき、私は笑いながらも深く感動しました。「そんなことまで奥さんに?」と驚く方もいるかもしれません。でも、私にはその感覚がすっと腑に落ちました。なぜなら、私自身も日々の生活の中で「奥さんは一番身近にいる“赤の他人”」だと意識しているからです。
「他人だからこそ大切にする」という所さんの哲学
番組内で「子どもと奥さん、どちらが大切か」と聞かれた所さんは、即答で「奥さん」と答えました。そしてその理由がまた深い。「子どもは血がつながっているけど、奥さんは他人だからこそ大切にしないと崩れてしまう」と語っていました。
この発言は、多くの人にとって少し意外だったかもしれません。ですが、私にとってはとても共感できるものでした。夫婦とは、血のつながりもなければ、生まれ育った環境も違う。でも、人生を共にし、時には子育てや老後まで歩む「特別な他人」。だからこそ、意識して丁寧に接することが必要なのだと思います。
愛しているから何でもOK?それも素晴らしい
一方で、「愛しているからこそ、気を遣わず、何でもさらけ出していい」という考え方もあります。実際、そうやって自然体でいられる夫婦関係も素晴らしいと思いますし、そういう姿に憧れを感じることもあります。
ただ、私はどちらかといえば反対のタイプです。たとえ長年連れ添っていても、やはり「最低限の礼儀や気遣いは忘れたくない」と思っています。そうでなければ、相手を傷つけてしまったり、いつの間にか感謝の気持ちを見失ってしまう気がするのです。
「おなら」の話に見る夫婦観の違い
少し話は変わりますが、以前友人たちと話していたとき、「奥さんの前でおならをするか?」という、ちょっとした雑談になったことがありました。
これが思いのほか意見が分かれる話題で驚いたのです。「全然するよ、夫婦なんだから」と笑う人もいれば、「絶対にしない、そういうのは恥ずかしい」という人も。
私はというと、「失礼だからしないのが当然」と考えていたので、この話題がこれほど意見を呼ぶとは思いもしませんでした。もちろん、何が正しいというわけではありません。でも、「夫婦だからこそ遠慮がなくてもいい」という考えと、「夫婦だからこそ礼儀を守るべき」という考え、どちらにも一理あるなと思ったのです。
所さんのように「行動」で愛を伝える
私も、日々の暮らしの中でちょっとした行動を大切にしています。たとえば、食事をしたあとは自分の食器を流しまで持っていき、軽く水洗いをしてからかごに直します。食べ残しがある場合には、必ず「ごめんね」と詫びるようにしています。これもまた、相手への敬意や感謝の気持ちを示す、ささやかな習慣のひとつです。
所ジョージさんは、どれだけ忙しくても「家族のために何かしないと眠れない」と言い、朝は必ずテーブルを片付けてから仕事に向かうそうです。そういった小さな日々の行動の積み重ねが、家族への愛情を表しているんですね。
さらに、「なぜ奥さんと結婚したのか」と問われた所さんは、「妻の笑顔をずっと見ていたかったから。それが結婚の理由。だから妻が笑っていないときは、100%俺が悪い」と言い切っています。この発言には、本当に胸を打たれました。相手の感情を自分の責任として受け止める姿勢、これはなかなかできることではありません。
私も、自分の家族が笑顔でいられるように、できることから少しずつ行動に移したいと思います。
「他人だからこそ、意識して大切にする」
夫婦の形に正解はありません。「愛してるから何でもOK」も、「礼儀を忘れない」も、それぞれの夫婦に合ったやり方があると思います。
でも私は、所ジョージさんのように「奥さんは他人だからこそ、大切にし続ける」という姿勢に強く共感しています。たとえ相手がそれをどう感じていようと、私は私のスタンスで、丁寧に接していきたい。近すぎるからこそ、時に意識的な距離感が必要なのかもしれません。
これからも私は、「奥さんが笑っていられるように、自分にできることは何か?」を問い続けながら、生きていきたいと思います。



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